ラジコプレミアムその後

全国のラジオが聴けるラジコプレミアムに登録して、その感想。
毎日朝から夕方まで地方のラジオばかり聴くようになった。在京の放送局をほとんど聴かなくなってしまった。いちばんよく聴いているのは、北海道と沖縄。
地域の好みと、番組のおもしろさもある。リスナーから投稿されるものもラジコプレミアムで聴いている、圏外のメッセージも多い。ぼくも早速ラジオ沖縄に投稿して一発目で採用されたのはうれしい。

今日は午後からお天気下り坂ですなんてラジオから聞こえてきても、それははるか1000キロ離れた土地の天気のこともある。車の中ではないので関係ないが、交通情報もまったく役に立たない。

全国を旅していつもラジオを聴いていたから、横浜で全国のラジオが聴けるのはとても楽しい。ちなみにぼくはスマートフォンではラジコを聴かない。電池の減りが早く、すぐ充電が必要になるから。いまや電池は内蔵になって自分で交換できず、修理扱い。5000円では交換できなくなってしまったので、電池の寿命=スマホの寿命になりつつある。だから外に出るときは時代遅れのMP3プレーヤーを持ち歩く。ハイレゾなんて無縁、入っている曲は新しくても2000年くらい。
振り返ってばかりいる、もう若くないな。

バタバタした一日

ヘリコプターがやたら飛んでいる。

どこ所属だろう
ANAっぽい塗装、オールニッポンヘリコプターか
どこだろう

近所で災害があったようなので、これなのか。

新子安2丁目

ニュースを見てビックリ!
今朝3時半頃(夜中)大口商店街で通り魔があったからだった。
空からのニュース映像もあった。大口商店街は前面封鎖されているからだ。

さらに、東海道線を走るE257系を発見。
これは中央線のあずさ・かいじで使用されていたが新車に置き換わることが決まって、踊り子として運転するための準備だろう。
つまり、踊り子の練習。

E257系

ずっと家にいたわりにバタバタした一日だった。

事務所を内見

新たに事務所を借りようと、見つけた物件を内見してきた。

内装は新しい

築年数の建ったビルを、業者が買い取ってリフォームして貸し出している。
どうしても事務所が必要な業種があって、そこには人が出入りする必要もないことがある。つまり、住所が登録(登記)されていて郵便が届けばいい。
部屋の広さは6平方メートルちょっと。狭いのは覚悟していたけれど、窓がない、エアコンもない。廊下に通じた小窓が開くくらい。これでは7月からはもう出勤できないし、人も呼べない。
そうなると、借りる意味がなくなってしまう。
また新しいことを考えよう。

横浜市からお知らせ

重要!
要精密検査

ガン検診で精密検査を受けた方がいい人に届くらしい。要するに、精密検査を受けましたかと。精密検査を受けた方がいいですよというお知らせも入っていた。
精密検査を受けない人っているのだろうか。恐ろしい。

ハガキに○をつけて返送するのだが、記入例もすごい。

すごい記入例

この人は平成28年度に胃と肺、29年度は3カ所も精密検査。

とにかく早く、見つかるところにガンができることを祈るしかない。

最近鉄道ファンが驚いたこと

鉄道ニュースより

鉄道ファン以外の人にはただの通勤電車。この車両、元常磐線各駅停車用で東京メトロ千代田線への乗り入れ車両だった。最近引退した後、オレンジの帯をまとって再デビュー。オレンジであることから、中央線快速電車として運用される。

なぜ今さら中古車両が天下の中央快速線か

中央快速線にグリーン車を連結すること、トイレを設置することで工事が必要で工事期間の車両不足を補うもの。青梅・五日市線への直通運転はどうなるか、定員が減ることでラッシュの対応ができるか、半自動ドア(ボタンでドアを開け閉めする)が設置されていないなど問題点もある。

鉄道ファンにはどんな運用がされるのか興味深い出来事。

東京駅から歩いて実家へ

実家のパソコンが不具合になって新しいパソコンが届いたので設定をしに。
久しぶりに東京駅から歩いてみよう(約50分弱)
東京駅も日本橋もたくさんの人がいて、横浜にはない活況ぶり。
特に日本橋の新しい高島屋SCはなかなかの人出。

東京近辺10店舗以上あるチェーン店だった。

日本橋の路地

四谷の店舗ではベリーダンスが見られるらしい。

ほうれんそうとチキン

オフィス街の茅場町もずいぶん人が歩いていて驚いた。昔は土日なんて人が全然歩いていなかったのに。それだけ近隣に住む人が増えたのでしょう。
実家では父も元気そうでよかった。

中華街に送ってゆく

友だちは今日で帰るので、送るついでに中華街に行く。

横浜博覧会なるビルにベビースターラーメンのアンテナショップがある。その場で作るベビースターラーメンもある。私たちは誰も反応しないので、スルー。

dav

中華街で唯一の常連、中華食材の愛龍號。ピータンとザーサイを補充。
ママさんや息子さんとも話が出来て良かった。ママさんは同じ誕生日、息子さんはひとつ下だった。

山下公園へは缶ビールを持っていかないといけない。

京急色のシーバス、山下公園、みなとみらいと横浜駅を結ぶ
氷川丸のおしり
シンボル、マリンタワー
旗が表す意味を調べるのは宿題

ここまで5000歩、みなとみらいを通って歩いて帰る。

運河の向こうに貨物列車が走る

かめこの目的

この一年の体力の衰えは無視できない事態なので、少しでも体力を維持しようと回数券を買ってしまって束縛されているプールへ。
運動に行くのに楽してはいけないというモットーで歩いて行く。
国道1号線を歩くと、線路にカメラを向けているカメラ小僧(通称かめこ)が数人いる(実際は平日の昼間なのでおっさん、おねーちゃん)

青木橋にも数人いたので、しばらく待ってみたがいつもの列車しか来ないので諦める。その後検索したが、結局なにが来たのかわからずモヤモヤ。

京急、神奈川駅すぐ

横浜市西区スポーツセンターに着いて、いやいや泳ぐ。いつもより距離が泳げずそこそこで切り上げる。やはり体力が落ちたのかとがっかりすると、いつもは電車で来るのを6キロ歩いてきたからではないか、と思えばまあ納得。

お客さんに会いに磯子へ。2007年に10ヶ月住んだ街。

色が変わった磯子三丁目団地

このあと降水確率20%で雨にあって濡れる。30%から傘を持っていくことにしているので仕方がない。実は翌日さらに10%で雨に降られて濡れる。

10ヶ月しか住まなかったけれど、はじめて横浜に住んで思い入れがある街。

スーパー新規開拓

自称東横線沿線住まい。妙蓮寺30分、白楽40分だもの。
白楽には六角橋商店街があって(いつも何も買わないが)スーパーはあおばという生鮮食品充実のスーパーがある。徒歩40分かけても価値がある。

白楽周辺のスーパーを検索するともう一軒あるみたい。

横浜六角橋店

株式会社エコスは、東京都昭島市に本社を置く食料品主体のスーパーマーケットチェーン。1934年創業。ニチリウグループに加盟。

>食品スーパー「エコス」「TAIRAYA」を、関東地方(東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県、茨城県、群馬県、栃木県)と福島県に展開。傘下には、北関東地域に展開する「たいらや」、茨城地区に展開している「スーパーやまうち」「マスダ」がある。プライベートブランドとしてNatuLive(ナチュライブ)を展開。
(Wikipedia)

母の故郷、東京立川市の八百屋が発祥らしい。いなげやと同じだ。

都市型にありがちな、二階建てで肉類、魚類なかなかの充実。久しぶりの牛しゃぶしゃぶ、天然ぶりかぶとを買う(もちろん半額シール貼付)

白楽駅から歩いて4分くらい、商店街もあるのでおもしろい。
三崎まぐろのお店も発見。

花火が見える

第77回川崎市制記念多摩川花火大会がよく見えた。
花火大会は企業の協賛金で行われることが多いが、協賛金が集まらず中止になっているところが多い。
現場に見に行こうという意欲はまったくなくなった。

今日お客さんが香港に向けて出発した。お客さんから急に対応を迫られてもいいように、ツアーの同行は把握している。今ごろ空港に着いたなとか、今ごろホテルに着いた頃かなと。
パスタを茹で始めたときにトラブルがあったので、パスタがぶよぶよになったハマグリパスタを食べた。

15年9ヶ月ぶり36回目

横浜駅東口 クロスポート献血ルーム

病院ではなく献血。前回は市原に住んでいるときに千葉で行ったようだ。

しょこたん

実は献血が目的ではなく、しょこたんのポスターの骨髄バンクドナー登録。登録するときに採血するので、その検査は献血の検査と同時にできるのでついでに献血もしようと。生化学検査も行ってくれるので、コレステロール値もわかる。

200ml・400ml・成分献血があり、主力は400ml。輸血をするときにひとりの人からできるとか、さまざまなメリットがある。時間があれば成分献血が体への負担が小さい。人工透析の機械のようなところに一度血液が入っていき、遠心分離したのちに体に戻される。血漿と血小板の二種類あって、今日は血漿400mlだった。
血液は血漿と血球に分かれ、簡単にいうと血液の液体の部分。白血球や赤血球は体内に戻される。

体が冷えていたため血液の循環が悪かったので時間がかかり、はじめに受付をしてから休憩を除いて90分くらい。平日の昼間なので待ち時間はほとんどない。

待合室

献血ルームによっていろいろ違いがあり、お菓子があるところもあるらしい(いらないけど)飲み物は自販機がフリー状態。アイスクリームは処遇品(おみやげがもらえる)の中なので、何ももらわなければ食べられるしくみ。

フリー

始まる前に水分補給として2杯以上、終わってからも2杯以上飲むようにいわれたが、あまりおいしくないので結局そのとおり4杯飲んだ。

献血カード

左は昔の献血手帳、下には昭和63年のハンコが押してある。この手帳も住所は大学時代の広島、それも引っ越す前。回数は引き継がれて、一枚の献血カードになった。裏には回数、直近3回の履歴が印字されている。それと、骨髄バンクドナー登録カード。55歳定年なのであと5年しかないが、縁があれば提供しよう。