国歌

読売新聞のニュースより
入学式や卒業式で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱しなかったことを理由に、定年後の再雇用を取り消された東京都立高校の元教諭ら10人が、都を相手取り、再雇用職員としての地位確認などを求めた訴訟の判決が20日、東京地裁であった。
 佐村浩之裁判長は「式典で起立、斉唱することは儀礼的な行為で、思想・良心の自由を侵害するものではない」と述べ、斉唱を命じた校長の職務命令を合憲と判断。命令に反した原告を再雇用しなかったのは、都教委の裁量の範囲内で適法として、請求を棄却した。原告側は控訴する方針。
 都教委は2003年10月、式典で国旗の掲揚と国歌斉唱を教職員に義務づけ、校長の職務命令に従わない場合は、服務上の責任を問うとする通達を出した。この通達を巡っては、約400人の教職員が原告となった別の訴訟で東京地裁が昨年9月、違憲判断を示している。今回の判決は、都の通達に基づく職務命令を合憲とした初の司法判断で、正反対の結論となった。
国歌斉唱、起立をしない、という以前から耳にするニュース。
みなさんはどう思いますか。
ぼくが思う気持ちはこんなところ。
そもそも学校は少なからず人権無視の場じゃないですか。これら被告の教師たちは生徒の人権を最大限重視しているのだろうか。
この学校にいじめはないのだろうか。自分たちの主張だけでなく、本当に生徒のために日々努力しているのだろうか。
いじめはいじめるやつの、いじめられる生徒の人権を完全に無視した行為だからそう思った。
いじめだけではない。校則もそうだ。校則を守れと言うなら、これら教師も通達に従うべきである。
授業中に、お祈りの時間だと祈りだしてもそれは認められるのだろうか。
英語を学ぶことは思想に反すると履修しなくても卒業は認められるのだろうか。
あなたの日本史の授業は思想に反するので履修しない、思想とはそういうものではないだろうか。
日の丸、君が代が平和主義、民主主義に反すると被告が言っているのは、靖国神社に参拝したから軍事国家への再来だと批判する中国や韓国と同じではないだろうか。
たしかにあの君が代はマイナー調で現代にはどうかなとは思うけど。
だいたい、公務員が日本の国旗、国歌を否定する方がおかしいと思う。
どんな会社だって、社歌を歌わないとか、社長の方針には反対ですとなれば会社にいられないでしょう。
そういうところで、民間と公務員の意識の違いがある。
現代の若者を見ても、自分を自由に主張していいんだという教育より、規律や規則に従って行動しなければいけないという教育の方が必要だと思う。ばれなければいい、法の目をかいくぐればいい、という思想も現代のゆがんだ教育から来ている気がする。
自由と責任は絶対に切り離せないもので、当然思想の自由による責任も存在すると考える。
国歌は斉唱しない、それは自由だがそれならそれ相応の処遇をうけてもらう、という責任を取ってもらうのは当然である。
日の丸を軽視しようが、国家を歌わないのは自由だが、それなら公務員をやめろ、と言いたい。
公務員は国民の利益のために働かなければいけないのに。
国民に雇われているのだ、と理屈をこねているものもいたが、それなら国民に審判してもらえばいい。
去年、自民党政経塾に出席したとき、国旗に向かって君が代斉唱が毎回あった。
大学の入学式は欠席、中退だから卒業式に出ていないぼくは、20年ぶりくらいで国歌斉唱した。
自民党では君が代斉唱するが、他党はどうなんだろう。
愛国党は歌うだろうな。一日何度も歌いそうだ。

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