今のことではない。
大学受験生の頃のことで、占いはあまり信じないが四柱推命では一生の間でもよくない時期などだった。
高校時代に青春を謳歌しすぎてしまい、すっかりバカになっていた。
医学部に行こうなどと恐ろしい高望みをしていたので、予備校に入っていたけれどさっぱり勉強していなかった。
得意な科目は現代文かな。苦手科目は数学と、英語と…
トータルで偏差値は40位だったと思う。
当時の代ゼミで500人教室を満席にする大西の化学というのがあった。
化学のくせにで、今では考えられない。
ぼくは早稲田予備校の生物の授業で、受講者1名というのを経験したことがある。
それも1学期中ずっとで、2学期は100%増の2名になった。
政経はもっと悲惨で、水戸まで行ってお茶飲んで帰ってくる先生もいた。
大西先生の化学は、大学の教養範囲を軽くカバーしたものだった。
どうしてテキストに水素の波動方程式が出てるんだよ。
大西先生は冗談も多用していた。
受験生活はつねに未知との遭遇、受験生活はネバーエンディングストーリー、なんて言ってた。
当時の数学科目「微分・積分」を、少しわかる・わかったつもりなどは秀逸だった。
医学部は、進学校を卒業しても二浪くらいしないと入れない。
現役や一浪くらいで進学できるのは、御三家とか女子学院とか桜陰などの超一流校だけ。
ここでの医学部は国公立で、地方の大学に行くなんてあたりまえ。
どこの医学部に行く、ではなくて入れるところに行くというのが主流だった。
ぼくたちの時代に下から数えると、宮崎医大とか高知医大とか大分医大とか。
それでも、東大の理科二類に入学できるくらいの学力が必要だった。
国公立大学の医学部でも、やはりお医者の子どもが多いらしいし。
偏差値を2倍くらいにしないといけなかった。
考えてみると、いつも一発逆転狙いの人生だ。
ホームランを打たなければいけないのに、バントの構えをしているかもしれない。
それもツーストライクで。