はじめて教える仕事をしたのが、広島で大学生だったとき。
塾は不採用になったが、大検と予備校の専門学校は採用された。
当時21歳〈大学1年生なのに〉で、主に高校中退と高卒で公務員志望の生徒の前で授業をした。
大検は大学受験資格検定と言って、高校中退や中卒の生徒が大学を受験するための資格。
今は名前が変わって、高等学校卒業程度認定試験になった。
生徒はなんらかの理由で高校に行かなかったり、中退した生徒。
簡単にいうと、家庭の事情と、いじめてたかいじめられてたかの生徒。
ぼくよりひとつ年下のホステスもいたし。
15歳から20歳くらいの生徒がひとつの教室で勉強していた。
数?を担当したが、数?は必須科目なのでたちが悪い。
どんなに数学ができなくても、避けて通れないのだ。
中三で習う、ルート√がわからないのはまだ序の口。
恐怖の、分数計算がわからない生徒には、悪いが放ってしまった。
時給で働いている自分には分数から教えるのは無理だった。
この学校で、地理、数学、古文、化学、今思うとありとあらゆるものを教えた。
教材は高校の教科書だから、それはそれは教えにくい。
そんな学校も、たしか2年くらいでやめてしまったと思う。
広島ではその学校と、塾を二つ三つ、家庭教師をひとりふたりやった。
そうして、95年に東京に帰ってきた。