悲しいほど自由

今日は横浜市磯子区主催の「行列のできる講座とチラシの作り方」というものに参加した。
講師は大田区立男女平等推進センター「エセナおおた」の業務委託を受けたNPO法人の職員の方だった。
キャビンアテンダントを経てこの世界に入ったらしい。
うちのチラシがだめなチラシの代表だったり、これからどんなチラシを作っていったらいいかずいぶん参考になった。
セミナーや勉強会、講演会を企画したり自分が行うのも前々から思っていたがいいなと感じた。
もっとも、専門知識があまりないので人が集まるような講座はぼく自身はできないけど。
はじめての鉄道講座。
はじめての、というのは結構有効らしい。年配者の講座なら「教養講座」というのも有効だそうだ。
もっとも、こんな講座人が来るわけないけど。
明日はセンター試験。
ぼくは実は18歳から30歳まで12回センター試験を受けたという奇特な経験を持つ。
それは医学部に行きたいという高望みをしていたから。
そんなこだわりで大切な時間を過ごしてしまったと少し後悔している。
だから東大や早稲田を目指して何浪もしたり、司法試験を目指して何年も経ってしまった人の気持ちは痛いほどよくわかる。
そうなると後に引けない状況になって際限がなくなってしまう。
やめる勇気、言葉に現すのは簡単だけど当人にとっては簡単じゃない。
それまで守ってきたプライドも捨ててしまうことになるから。
同時に目標もなくなってしまう。
目標を失った人はつらいのだ。
時には何のために生きているのかさえわからなくなることもある。
そんな意味では、ほんとうの意味で忙しい人は幸せだと思う。
またまた浜田省吾の歌詞だけど、「悲しいほど自由」というフレーズがある。
自分のするべきこと、自分が見つからない人にとって自由は悲しいと感じることがある。
その自由がうらやましいと感じる人がいるのもわかってる。
今がつらい人にとっては自分と相反する人がうらやましい。

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