今晩から青森ねぶた祭が開催され、観覧席の準備が進んでいる。
これは桟敷席で靴を脱いで上がる。奥のブルーシートには折りたたみイスが積み上げられている。
青森県立郷土館の一部は1931年に建てられた、旧第五十九銀行青森支店(のちの旧青森銀行本店)で国の文化財に指定されている。
青森県つがる市で出土された、遮光器土偶
サングラスと考えられているが、おもしろいお顔。
これは複製品で、本物は重要文化財で東京国立博物館に貯蔵されている(公開されていない)
ちなみに、五能線木造駅はこんなつくりで、列車の発着時に目が光るらしい(怖い)
(Wikipediaより)
青森の文化がわかる、興味深いコーナー。
昔の食事が並び、青森県内各地域の特色が現れていた。
津軽(青森県の北部左半分、青森周辺あたり)
稲作が盛んで白米を食べて、冬は保存食を食べていた。
野菜を細かくきざんで昆布出汁のおつゆ、けの汁がある。
白米ではあるものの、野菜中心のヘルシーメニュー。
南部(八戸あたりの南部地方)
畑作中心で、あわやヒエなどの雑穀類、そばを食べていた。
主食はそば粉でつくられた、三角形の「かっけ」に味噌をつけて食べている(白いのはダイコン)
下北(北部右半分の下北半島)
海に囲まれているの海産物中心で、いもをよく食べた。
右上のものは何かわからなかった。
オシラさま信仰
オシラさまとは家々の神様で、東北全域に同じような風習があり、イタコも深く関わりがある。
館内ではクイズラリーを行っており、参加賞として遮光器土偶のタオルハンカチをもらった。
青森県観光物産館アスパム
物産店と会議室、展望台などがある。
昭和61年に開館したが、名前の由来は以下だそうだ(アスパムのサイトより)
一般公募の1,307点から当時中学生の案が採用されました。
青森県観光物産館を英単語に直訳した・・・
- 青森県 Aomori
- 観光 Sightseeing
- 物産 Products
- 館 Mansion
からそれぞれ頭文字をとった「ASPM」から「アスパム」を連想させています。
この近くには、いくつかのねぶたの展示場(格納庫)がある。
仕事前の添乗員だが、完全に観光客
外国からのお客さんも大はしゃぎで撮影。
八甲田丸に乗船
八甲田丸はいわずと知れた青函連絡船。1964年から1988年まで最長の運行期間だった。
のっぺりとした顔の彼女と再会。
彼女たちは以前、船の科学館の横に係留してあった羊蹄丸に展示してあった。
羊蹄丸に乗船の彼女
今回の展示
羊蹄丸時代
店の金を使い込んだダンナの図、らしい。
これらの展示物は羊蹄丸にあったもので、いったん新居浜市へ行った後に譲渡されたもの。
グリーン船室や寝台室の展示が興味深い
1985年の時刻表より
青函連絡船の運賃が1900円、グリーン船室が1600円、寝台料金が2400円だ。
寝台は現在のフェリーでの二等寝台で、毛布は飾り毛布といわれる折り方がされている。
車両甲板に下がる(地上と同じ高さ)と、列車が展示されている
貨物列車の車掌車。現在は廃止されて、車掌は乗務していない。
この後の車掌車ヨ8000からトイレ付きになったので、この車両にはトイレがついていない。
ヨ6000
(Wikipediaより)
国鉄の車掌だった人に、この車掌車は寒くてしょうがなく、車内で走って体を暖めたと聞いた。
船内の端には連結器があった
搭載した貨物列車が動かないようになっていた。
キハ82も展示
北海道内を走っていたキハ82だが、北海道内で活躍したものの、本州には渡っていないので、工場からの搬送に運搬した可能性はあるが、定期的には運搬されていない。
以前は車内も展示されていた様子もあったが、現在は立ち入ることができない。
外は黄色い部分。
蒸気船時代の青函連絡船、日本海難史上最悪の洞爺丸事故はこの部分から浸水し、操舵不能に陥った。以降の船より、水密扉で閉ざされるようになった。
機関室の一部も公開されている。
船の前には、津軽海峡冬景色の歌碑があり、ボタンを押すと津軽海峡冬景色が流れる。
熊本県出身の石川さゆりさんの元に印税が入るしくみのはずだが、何回再生されたかカウントされているか、年間いくら、という契約なのかはわからない。
ホテルに戻って、お客様を観覧席にご案内する時間が近づいた。
半年間の集大成の発表の場。