横浜・三渓園で偉大さを知る

みんなで行けばいいかなと5枚買った三渓園の入場券。6月から猛暑で行かれないで期限の9月になってしまった。まだまだ暑いけれど仕方がない。山手駅から歩いて行こう。

YC&ACってなんだろう

YOKOHAMA COUNTRT & ATHLETIC CLUB

会員制スポーツクラブらしい
ボウリング(10ピン)、野球、バスケットボール、ビリヤード(プール)、クリケット、ダーツ、ホッケー(屋外)、ゴルフ、ローンボウル、ラグビーユニオン、サッカー、スカッシュ、卓球、水泳、バレーボール

ファミリー会員だと、入会金30万円、月会費36000円、保証金10万円らしい。シングルメンバーだとその半額。会員制のレストランやバーもあるみたい。

坂道が続くのでかなりきつい。もう一度今月来るが、今度はカーシェアリングで来よう。

本牧市民公園側の南門から入る。駐車場もこちらの方が安く、10月に駐車場代が500円から1000円と倍額になるのでなおさら南門から入ったほうがいい。

三渓園の裏側
上海友好園

D51も鎮座している。1年間敷地内にある横浜市陶芸センターに通っていた。

南門はこんなに小さい
すぐそこが海だった

埋め立てられて海は遠く

今は展望台になっている松風閣からスタート

関東大震災で倒壊

昭和39年に建設された展望台

逗子の山が見えていた。眼の前はコンビナートで景色が良くない。
涼しい風がふいて気持ちがいい。

旧燈明寺三重塔

三渓園のWebサイトより
1457年(室町時代の康正3年)に建てられた、園内の建造物の中で最も古い建物。1914年(大正3年)に、現在の京都・木津川市の燈明寺から三溪園へ移築され、小高い丘に建てられたその姿は三溪園を象徴する存在となっています。 三重塔の移築は、その後の庭園造成の上で大きな鍵となり、臨春閣や聴秋閣の室内から三重塔が美しく眺められるような配置の工夫が見られます。

池と本牧の町が見える
かなり大きい

三渓園WEbサイトより
飛騨白川郷の一部(現在の高山市荘川町)にあった、入母屋合掌造りの民家。御母衣ダム建設の水没地域にあったため、1960年(昭和35年)に三溪園に移築されました。
農民の家ながら、式台玄関や書院造の座敷など立派な接客の空間や火灯窓を備え、飛騨の三長者の一人と言われた矢箆原家の格式の高さを伝える、現存する合掌造りでは最大級の建物です。現在は、移築に合わせて蒐集された飛騨地方の民具が展示されています。囲炉裏では毎日火が焚かれおり、黒光りした柱や梁、煙の匂いが昔の白川郷での暮らしを感じさせてくれます。

園内には猫が数匹いる
カルガモがいた

池にはたくさんの鯉や小魚が泳いでいた。外苑は一般にも公開されていた地区。当時は24時間365日公開していた。

三溪記念館
冷房が入っていた涼しく快適。原三溪(原富太郎)の特別展示、撮影禁止。

生糸で成功して莫大な利益を得て三渓園を買い取ったことは知っていたが、今のように一般に庭園を無料で開放したり、芸術家を育てるために援助をしていた。三渓園は私物化するべきではない素晴らしいものという考えだったようだ。関東大震災ではかなりの被害が出て、箱根にいた原氏は4日かけて歩いて帰ってきた。横浜では復興のリーダーとなり、生糸の拠点を神戸に移すことを思いとどまらせ、復興の過程が展示されていた。

内苑は原家が私庭として使っていた

春草廬(しゅんそうろ)

三渓園Webサイトより

織田信長の弟・織田有楽の作とされる江戸時代初めごろの茶室。月華殿とともに1922年(大正11年)に京都・宇治の三室戸寺金蔵院から移築されました。
かつては「九窓亭」と呼ばれた三畳台目の席(三畳と約4分の3の大きさの畳を合わせた小さな空間)は、その名のとおり九つの窓が美しく構成されています。付属する水屋と広間は三溪園に移築される際に原三溪が加えたものです。
かつては臨春閣の裏手に白雲邸と接続して建てられていましたが、第二次世界大戦の際に空襲の被害を避けるため解体され、戦後、現在の場所に再築されました。

平日4時間18600円~で借りることもできる。

10月1日から入園料200円値上げ、駐車料金倍額、特にシニアの入園料が大幅値上げなので今月中に行ったらいいかも。年間パスポートは2500円で変わらず。大人900円になるので、3回以上で行けばいいが、場所が少し遠い…

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