センター試験

イギリスにはクイーンズイングリッシュがあり、アメリカには米語といわれる英語がある。
そして日本には、受験英語がある。
そんな笑えないジョークが存在する。
センター試験でリスニング試験が導入され、毎年トラブルが続出している。
ぼくたちの時代にはヒアリングという試験名で一部の大学(ほとんど外国語大学)で実施されていた。
センター試験はいろいろな会場が使われるため、必ずしも放送設備を持っていない会場がある。
そのために、ICプレーヤーが配布され受験する仕組みになっている。
そもそも、現在の英語教育のしくみでリスニング試験が必要だろうか。
ぼくたちの時代の発音・アクセント問題にも疑問を感じていたが、本来の英語教育の目的すら見失っているのではないだろうか。
話せれば、聞ければいいなら外国人の子供だってできる。どんなに外国語を勉強しても母国語の能力を上回ることはないということ。ネイティブな英語が話せる日本人の小学生に国連の通訳はできない。
ぼくたちの時代にはなかった、オーラルコミュニケーションという授業内容が増えたが今の学生の方がほんとうにそれらの能力は上なのだろうか。
そもそも客観テストであるセンター試験を入試のすべてにする形態が間違っているのであって、加えて2次試験をするべきだと考える。要するにセンター試験だけで入れる大学ならレベルは知れているのだから、リスニングなんてどうでもいい。
いわゆる高いレベルの大学なら2次試験に英語があるのが一般的だから、リスニングを課せばいい。
話せるように、聴けるようにということが英語学習のすべてではないのだから一見何の役にも立たないような昭和の受験英語でもいいような気がする。
元々、文献が英語が多いという理由で受験に英語があるんだよ。(急に口語調)
それと、語学の学習は勉強時間に必ず比例するから、絶対に勉強しなければできるようにならない科目なのだ。
英語ができるということは、少なくとも受験勉強で英語を一生懸命やった証明なんだ。
それは大学に入学しても一生懸命勉強できる、というまじめな学生の証なんだよ。
元々数学や理科、国語などはそれほど勉強しなくても得意な人がいる。
ぼくも国語は特に本も読まず、大して勉強してないけど現代文は得意だった。
その代わり、外国語の一種である古文は苦手だった。
それは大学側が、で大して勉強もせずにまぐれで入ってきた努力しないやつを排除したいということなのだ。
まぐれな彼らは大学をやめてしまう危険があり、特にまともな大学の理系では勉強をしないと絶対に卒業できないから、中退者を出さないためにも受験科目に英語を課してまじめな受験生を取ろうとするのだ。
それが大学入試に英語がある本来の意味なのだ。
そうなると、本音ではリスニングなどは必要ない。
ただあのつまらない受験英語を一生懸命勉強したかどうかが重要だから。
元々学校の勉強というのはすべての基礎であり、論理力などを身につける訓練なのだから、役に立つという低い観念では中学生の勉強も必要ないだろう。
何のために勉強するか、それは簡単なこと。
アタマをよくするため。
受験英語、特に英文法は苦手だったし挙げ句に大学中退したやつが、いやだからこそ熱く語ってみました。

Translate »
タイトルとURLをコピーしました