やりきれない気持ち

秋葉原の事件が頭を離れない。
先週なぜか3回も秋葉原に行き、目的のものが買えなかったりすれば今日出かけていたかもしれない。
7人もの人が秋葉原に出かけて帰ってこなかった。
もう会うことも話すこともできない。
7人の人に関わっている人はどのくらいいるのだろう。
少なくとも家族は数人いるし、友達だって知り合いだってきっとたくさんいる。
目の前で家族があんな目にあったらどんな気持ちだろう。
どうしてそんなあたりまえの気持ちがわからない人間が生まれてしまうのだろう。
誰かが死んだらたくさんの人が悲しむ、人の命はかけがえがない、どうしてそんなことがわからない人がいるのだろう。
犯人を憎む気持ちは当然で、この犯人の両親にも責任をとってもらいたい。
しかし責任なんて誰にも取れない。生き返らせること、なかったことにするのが償いだと思うから。
壊したものを弁償する、代わりのもので許してもらう…。
何をしたって被害者が生き返らない以上、絶対に償いなんてできない。
こいつにどれだけの後悔をさせるか、どれだけの罪を犯したのか一生わからせたい。
死刑で楽に殺すなんて、許せない。
せめて死の恐怖は味わわせなければいけない。
今日もきっと全国で何人もの人が交通事故で亡くなる。
ひとつ自然災害が起こればたくさんの人が亡くなる。
今日の事件はそれとは違う。
何が大切なのか、個性ではなくてきちんと教えなければいけないのではないだろうか。
人の命をなんだと思っている奴が多すぎる。
このままでは一定周期で事件が起きてしまう。
本当に明日は我が身かもしれない。
愛する家族を失うより、我が身ならまだましのかもしれない。

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