金町で所用があったので、少し足を伸ばして松戸へ。
JR武蔵野線新八柱駅、新京成八柱(やはしら)駅からスタート。
新八柱は栄光ゼミナールで算数を教えていたことがあって、たしか1~2年だが週1~2回通っていた。
駅を降りて見回してみても、ぜんぜん覚えていない。塾がどこにあったのかも思い出せなかった。さほど駅前は変わっていないようだが、短い期間だったからだろうか。
駅から20分くらい歩くと、立派な市民ホールや公園、その中に松戸市立博物館が現れる。
先に外にある復元された竪穴住居を見る。
真ん中に焚き火をするスペースがあり、その上には木のみなどをいぶすスペースがあった。今でも火を燃やすことで、屋根であるカヤを虫から守っている。うちの燻製と同じようなにおいがする。
柱の数はわかっているが、高さは推測になっているらしい。
中でボランティアガイドであろうおじさまから色々話が聞けた。キリがないので適当に切り上げて本館に戻る。
他にも2棟あるが、修復中になっていた。
なかなかの充実ぶり。
庚申信仰で月に一度みんなで集まり、精進料理を食べるがそれは楽しみな行事だったそうだ。
松戸も江戸川での水運が盛んだった。
そして現れるリアルな団地
1962年に建設された常盤平団地を再現してある。団地全体としては1960年から建設されている。
日本住宅公団はURになったが、UR常盤平団地として現存している。
正面から行くと、ベランダから不法侵入のように入る
冷蔵庫の隣には蝿帳(はいちょう)がある。
1960年に建設されているが、トイレは洋式とはやはりかなり進んでいる。
ちょうどこんな木の湯船に父と入っている写真があった。
ベランダから入り玄関から帰る、まさに不審者。
すごいのは部屋だけではなく、建物そのものが再現されていること。入れないのかもしれないが、上の階もあるようにみえる。
このあたりで1階で上映するというので行って最前列を陣取る(足が伸ばせるから)
けっこう難しい内容で、途中少し寝た。
地下の特別展、こどもミュージアムへ
はんこが円筒であることを初めて知った。
すごろくなのだが、大正時代のものだが、内容がおかしい。サイコロの目でどこに行く、どこに戻るなので行ったり来たりしそう。最短は3つその目が連続で出れば上がれるようになっていた。
わからなかったのが、オショサイ。オショサイ?なんだろうと思ったら、お書斎のことだった。
ゴールでは女の子がなぜか大きな大根をもらっている。その横ではお姉さんがこよりを持っていて、そのこよりによってプレゼントが変わるのだろう。マリだのタコが置いてある。それをガイドの人に言ったら、感心された。ふふ。
小学校3年生で昔の暮らしというのを習うそうで、参考になるものが展示してある。
洗濯ばさみのようなもので着物をはさみ、引っ張って作業をするものらしい。
現在のものはこんな感じ。
思い出せないが、この台秤(だいばかり)は使ったことがある。移動させるときに重かった記憶がある。てこが2つくらい入っていてバランスをとることで計測している。小さな重りで思いものと釣り合わせることができる。
なんと今でも販売していた。
お値段11万円。安いんだか高いんだか…
ここで主題展示コーナーへ
虚無僧寺一月寺
江戸時代の小金宿(現在の松戸市小金)には、一月寺という変わった名前の虚無僧寺院がありました。虚無僧寺一月寺は、青梅鈴法寺とともに、普化宗(ふけしゅう)総本山として全国に知られていました。正確には、「普化宗触頭」あるいは「普化禅宗惣本寺」といいました。
普化宗は、中国唐代の普化禅師を宗祖とする禅宗の一派で、その僧侶を虚無僧といいます。しかし、明治4年(1871年)政府の普化宗廃止令により、普化宗総本山一月寺の歴史は閉じられました。
ここでは、主に虚無僧や一月寺、尺八の歴史について紹介しています。
(博物館案内より)
音階が少ないので、大した曲は吹けなそう。
虚無僧、なんか胡散臭いと思う原因が…
虚無僧の中には、元は武士身分であったものが落ちぶれた、いわゆる浪人もいたからなのだろう。
松戸といえば梨の一大産地
興味深い展示はおおむねこんなところ。入館料はおとな310円で、これなら満足できる。美術館のように展示物の近くに座っていて、観覧者が来ると立っているというのもあまり好感持てず。案内をするわけでもなく(しないでいいが)いっそ監視カメラでも置いて一極で監視した方がいいと感じてしまう。
しばらく再訪はないが、一度は行って団地の展示を見るのはおすすめできる。