あの日は事務所に行くのをサボって、幸い自宅にいた。
時化のときのフェリーのようにゆっくり揺れて、緊張で気分が悪くなったくらい。揺れが完全に収まるには5分くらいかかった。
直後にエレベーターが止まり、夜になるまで復旧しなかった。高層階なので恐怖だが、その後そのような人のためにコミュニティ広場を開放することになった。
特別重いものでもなければ、階段で上がっても数分で登れることもわかった。
あんなことが起こる時点で、神も仏もないって。宗教家はいろいろこじつけるけど、家族をみんな亡くしたり、子どもが亡くなるなんて試練は与えるはずがない。
普段から震災の対策をしていても、その日そのときどこにいるかが大きい。旅行先で被災するかもしれないし、ボロ旅館に泊まっているかもしれない。そこから帰れるかも大きな問題。
阪神大震災のとき、広島に住んでいてちょうど東京に帰省していた。高速バスで帰る予定だったけれど、高速道路も道路も寸断されて当然運休になり、帰る方法は飛行機またはJRは大きな迂回路になった。どうやって帰ったかよく覚えていないが、JRや道路の復旧が数ヶ月かかったので、飛行機を利用した記憶がある。広島から大阪への臨時便なども運航された。
備えても備えることに限界はあるし、心がけは大切だけれど運命も大きい。