当時事務所があったが、用事もないので行ったり行かなかったり。
その日は行かないでうちにいると、地震が起きた。
32階の部屋はフェリーのようなゆっくりとした揺れで、鍵をかけていないベランダのサッシが、左右にガッタンガッタン開いたり閉まったり。避難路を確保しようと玄関を開けて見ると吹き抜けがギッシギッシ音を立てて建物がしなっているのがわかった。
その直後にエレベーターは止まり、そのまま4時間くらい止まっていた。
東北地方で2万人もの人が亡くなった。2万人亡くなれば、親戚や友だちなどが誰か亡くなってしまったことだろう。仙台の友人もやはり親戚や友人を亡くしたと言っていた。
いつか必ずやってくるといわれている大地震、自宅は耐震構造でもどこかに泊まっているかもしれない。
いつどこにいるか、それはまさしく運命。