途中のJR東日本大宮総合車両センター(旧工場)
車体と台車をパカッとはずしたときみたい。
鉄道博物館の貸切時間は10時~15時。去年も来たがやり残したことがあったので、今年はほぼ10時に来て、受付。
それは…
今日は全4回で各回20名。つまり枠は80名。
11時30分からの回を無事予約。既に半数くらいは埋まっていた。
もうひとつは、ミニ運転列車の整理券をもらう。館内真逆の方向にたっぷり歩く。
こちらも1230~1300の整理券をもらう(普段は210円)
11時20分まで好きなところをうろうろする。
半流線形がかっこいい。車内に入ることもできる。晩年は青梅線で運用され、最後は国府津電車区で職員輸送用で昭和63年に引退を迎えた。
招待者は50歳以上で、ジパング(60~65歳以上)中心なので年齢層は高め。
東京に18で出てきてこれに乗って、結婚して埼玉に24で引っ越したなどご婦人が懐かしそうに話していた。
今回初めて見つけたのは、この鮮魚列車。その名の通り、鮮魚を高速で運ぼうという列車だが、冷蔵能力はなく、氷をたっぷり詰めた箱で運んだ。貨車の構造が断熱構造になっていただけ。
いたずらなどの事件が起きたため、運転室内に入れなくなっていた。
車内に入ることができる。
ビールください。
顔があってもなくても結局不気味。
写真家古賀絵里子さんのツアーをしたとき、帰りにご一緒したとき、おねーさんに聞いたことがある。このワゴン、だいたい20万円くらい積んでいるらしい(車両や会社によっって違うだろうが)
車掌体験コーナーでは、妙齢のおばさまが帽子だけかぶって、ドアの開け閉めなどしていた。抽選制なので、やってみたくて応募したのだろうか。
このシミュレーターは実際に乗務員の訓練にも使われていて、ホームに酔っ払いがふらふらしていて緊急停車させたり、駆け込み乗車をしてきたり、などいろいろ体験できる。
いよいよ運転士体験教室!
部品は本物と同じで(たぶん)かなりリアル。
イスが事務イスなのは仕方がない。
白手袋は合図をした時にわかりやすいようにつけている。これはあとでもらえる(繊維がボロボロ落ちるけど)
時間になるとインストラクターのお姉さんが一番前に座るが、前に画面があるのでおねーさんは見えない。
説明が始まる。
運転席の右はタッチパネルになっていて、当然手袋のままで反応する。
早口で説明が終わり、いよいよ停車の体験。
いきなり80キロくらいからスタート。
次は発車から停車、そして最後にもう一度の計3回。
今日は初級しかないのでこれで終了(40分)
いつもは中級、上級コースが少しずつある。
ミニ運転パーク
8車両走っていて、車両は選べず順番。運転台がワンハンドルとツーハンドルがある。見た感じ、ツーハンドルはEF55とEF510(北斗星)だけか。
E657系(常磐線特急)が来た
スピードメーターが数秒で80キロくらいになるが、実際はほとんどスピードは上がらない。ブレーキをかけた時の効き具合が変わり、制動距離が伸びるようになっている。
降りて聞いてみると、一人一枚もらえるそうなので1400~1430の整理券をもらう。
お昼ごはんを車内で食べる
455系急行形電車の向かい合わせボックスシートで食べるか、ランチ列車と書いてある183系、189系特急形電車で食べるか。
455系で食べる。
昼時は183系、189系共にほぼ席が埋まるくらいの盛況。
こんなところで会うとは
山手線用または埼京線用の205系を鶴見線用に改造したもの。大宮車両センターで点検・整備されて試運転されていた。
他にもE231系がスーッとやってきた。
> 線路の総延長は約1,200m、総数約1,400両からセレクトしたHOゲージの模型車両(新幹線1/87、在来線1/80サイズ)が迫力いっぱいに駆けめぐります。
一番後ろで立ち見だったので、何が走っているのかまったく見えない。スクリーンに映し出されるのでかろうじてわかるが、つまらない。
20系寝台特急客車にいたボーイさん。
国鉄の車掌だった祖父はボーイだったらしいから、このような仕事をしていたのかもしれない。
1号機関車を見ると、これを思い出す。
電車にバカにされて怒って火の粉を出して、沿線周辺に火事を起こしてしまい、沿線住民の怒りを買って自らの首を絞めてしまう。廃車解体でトレーラーに載せられているところを交通博物館の人の目にとまって、保存されることになったというお話。
再びミニ列車コーナーに
順番が回ってきたのは、EF510形電気機関車。係のおねーさんは、北斗星号です!と言っていた。後ろに寝台客車がつながってはじめて北斗星だと思うのだが。
はじめてのツーハンドルだ。
本日2回目、最後のEF55の警笛を聴く。
1936年生まれ、父母が生まれた頃だ。この車両は反対側は平面で、運用がめんどうになって3両しか製造されなかった。
いつしかムーミンと呼ばれるようになる。
引退した後、高崎第二機関区で動態復元されて、2009年までイベントで運転されていた。
転車台がぐるっと一周して、途中で警笛を鳴らすというそれだけといえば、それだけの展示。以前はC57形蒸気機関車だったが、やはり電気機関車の警笛は力強さでは負けてしまう。
いろいろな車両の中に出たり入ったり座ったりで、15時の閉館の頃はぐったり疲れた。
来年は運転士体験もしてしまったし、どうするか。それ以前にこの招待企画があるかどうかわからないが。