どうしてここは大和なでしこ広場か。
ここは相鉄線の終点、小田急江ノ島線の大和駅前だから。
大和駅には週二回塾講師として通勤していた。あのとき中学1年の生徒だったから、計算したらもう35歳くらい。そうなると、その子どもたちが教えていた生徒と同じ歳くらいかもしれない。塾はまだあるようで、あのときの塾長は元気なのだろう。きれいな事務員の女性がいて、歳の差があったわけではないが、なぜか生徒たちにはなぜか秘密にしていた。
あのときは、実家に住んでいたから、実家から京急で横浜に出て、相鉄に乗り換えて大和に行き、帰りは小田急で代々木上原から千代田線を乗り継いで帰っていた。
授業は9時頃終わるので、帰りはずいぶん遅くなった。
逗子に週二回通っていることもあって、あのときの一ヶ月の交通費が5万円を超える請求をすることもあった。5万円を超えると課税されてしまう。
あのときと大和は大きく変わり、いちばん大きく変わったのはここ。
なんだこの広いスペースは…
考えてみたら、この下を相鉄線が走っている。もともと線路が敷かれていたところだ。相鉄線の大和駅は平成5年には地下になっているので、もう25年以上経っていて、塾に行っていた頃も既に地下化されているので、この広場はあったのだろう。夕方大和にやってきて、その頃は飲酒の習慣もなかったのでまっすぐ帰っていたので(今でも飲酒はするがまっすぐ帰るが)大和の駅の周辺はまったく知らない。
東京の人にはあまりなじみののない神奈川県内の比較的大きな市、といったところ。大和市の方が人口は2倍近いが、乗降客数ではこの先の終点の海老名の方が多い。
試験に合格できたら大和の塾の先生に会いに行ってみよう。