東急東横線と東京メトロ副都心線の直通運転がはじまり、東横線の渋谷駅が話題になっている。
その陰で、東横線と東京メトロ日比谷線の直通運転が終了した。
東武線より早く、東横線への直通運転は昭和39年に開始された。
東急側は、中目黒から都心部へ行かれては減収になるので、本数も少なめで各駅停車のみになった。
東急からすると、終点の渋谷まで行ってもらって、乗り換えて欲しい。
中目黒~渋谷間でも相当な人数、相当な収入の減収になってしまう。
だからわざと不便にした経緯がある。
その他の鉄道の直通運転の列車は各駅停車が多くイマイチ不便だったのは、このような経緯がある。
日比谷線は東京で古い地下鉄の部類に入り、両端がまだ開発途上だったことこともあって、今ほどの需要が見込めなかった。
車両は18メートル、8量編成で開通してしまった。地下鉄は構造上、一度決めた規格は簡単には変更できない。
東横線は20メートル4扉車両を導入したので、同じ路線に、18メートル3扉車と20メートル4扉車が混在することになってしまった。
ホームのドア位置が変わるのは、利用者にとって不便であるし、運転上もいろいろな制約が生まれる。
結局、直通運転は30分に1本の頻度になってしまった。日比谷線内を走っていた東横線の車両は、このブログのカバー写真にもなっていて、今は弘南鉄道などで活躍している。
西側の大きな動脈が生まれて、次は東側の大きな動脈。
東海道線の東京、秋葉原、上野がつながって常磐線・東北線など上野発着列車と直通運転するというもの。
便利にするということだけではなく、若者や人口が減れば鉄道事業者の収入が減るということが明らかになっているから、という理由もあるのだ。